君に伝えたい言葉があるんだ

急に思ったことを思い留めておくために綴るブログです

KAT-TUNと私の10年を振り返って 後編 というか本編

 

leciely.hatenablog.com

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 …とまぁ、何の面白みもない自分の身の上話をダラダラ書き続けてきたわけですが、前編にてめでたく私がKAT-TUNのファンになりましたので、ここからやっとこさ本編に入りたいと思います。

 

2008年、『DON'T U EVER STOP』発売。上田くんと中丸くんのソロ曲が入ったバージョンを胸に抱きしめ帰宅し、ピアノの旋律の美しい名曲『愛の華』を繰り返し聴いてはうっとりとその世界に浸っておりました。ちなみに赤西くんのソロ曲『LOVE JUICE』は全編英語の歌詞でしたが、カラオケで歌えるよう必死に英語の読みを覚え練習しました。多分今でも歌えます。

このDON'T U EVER STOPという歌、かっこいい曲の多いKAT-TUNの中でもとりわけかっこいいのです。大好きな歌の一つでもあります。PVもストーリー仕立てで豪華で、とても良い。大好きです。

初めて出かけたKAT-TUNのコンサート、『QUEEN OF PIRATES』。友人が引き当てたアリーナ席で、心ゆくまでKAT-TUNを堪能しました。ちなみに私がKAT-TUNのコンサートで、アリーナ席にて鑑賞したのは後にも先にもこれ一度きりです。チケット運に乏しいようです。

同じ年に上田くんのソロコンサートが東京で行われましたが、東京なんてどうやって行くのかすら知らなかった私には、参戦なんて夢の世界のお話でした。でも、あの扇子は喉から手が出るほど欲しかった。次は絶対関西に来てねと、神様にお祈りしておきました。

 

2009年、『神の雫』、『RESCUE』、どちらのドラマもしっかりチェックし、主題歌を聴き込みました。2か月連続リリースだったので、たくさんKAT-TUNを見ることができました。

そして…!!!ついにやってきました、わが君、上田竜也様、連ドラ『婚カツ!』出演決定!!!!フーーーーーー!!!!!!!!おめでとうございます!!!!!!!!

可愛かったなぁ…可愛かった、それはそれは可愛かった。初登場シーンだけでその日のうちに50回くらいリピートした記憶があります。あの、手を振りながらやってくるところですね。ああ可愛い。本当に可愛い。幸せ。初回を見ただけで、もう思い残すことは無いと思ったくらいです。

この年のコンサート、『Break the Records』にも、もちろん赴き、そのスケールの大きさにとても驚きました。ただ、私はコンサートに行っても、興奮しすぎるためか、コンサート中の記憶がまるっと全部欠落しているので、正直内容はあまり覚えていません。ただ、なんかすごかったことだけはよく覚えていますよ。

適当に聞こえますね。すみません。

 

2010年、赤西くんの映画『BANDAGE』は前売り券を買って友人と観に行きました。シングルもアルバムも、寒い部屋にストーブをつけて、よく聴いていたなぁと思い出します。

そして、待ちに待ったおよそ1年ぶりのKAT-TUNのシングル、『Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜』が発売されました。喜びに胸を躍らせながら音楽番組への出演を見守ると同時に、私は何やら不穏な空気を感じ取りました。

 

赤西くんの様子、変じゃない…?

 

余談になりますが、私はかなり最近まで、インターネットを介してKAT-TUNの情報を得ることを、何となく怖いと思って避けていました。だいぶ視野の狭い認識を持っていた私には、余計な情報や、見たくない情報が目に入るネットの世界に抵抗があったのです。情報の正しい取捨選択をすれば、ファンにとって、これほど素晴らしいツールは無いというのに…愚かでした。

なので、このあたりのことも、ネットでの情報などは一切目にしていません。

そんな私でさえも、何だか危ういものを、KAT-TUNから感じるほどでした。

後から知ったことですが、どうやら私が勘付くよりだいぶ前から、既に色々な噂は出ていたようです。

メンバーは相変わらず元気だけど、だんだん笑顔の消えていく赤西くん。歌を披露するときも、サングラスを外さず、うつむきながら歌っている赤西くん。テレビの中でも、雑誌の中でも、彼のキラキラした表情が見られなくなり、なんだかふてくされたようにいつもニット帽を被っている…そんな印象を受けました。

もちろんこれは私の主観です。このブログに書かれてある内容は、全て個人的な感想であるということを、もう一度ここでお断りしておきます。

 

さて、私は、だんだん不安になってきました。

 

どうしたんだろう?

何があったんだろう?

 

考えれば考えるほど、寂しさが募りました。

 

メンバーとふざけあって、わちゃわちゃしたり、シュールなボケを連発したり、田口くんのボケには鋭く突っ込んだり。

いつも、メンバーとファンを笑顔にしてくれた赤西くん。

面白いことがあれば、手を叩いて、嬉しそうに笑っている姿が、印象的でした。

 私が好きだったのは、そんな、太陽のように明るい、赤西くんです。

 でも、少なくとも私には、その時の赤西くんはまるで別人に見えました。

 今思えば、どんな赤西くんでも、全部受け入れて応援するべきだったのかもしれません。けれど、それができるほどの心の許容量が、私にはありませんでした。

 自分の好きな赤西くんでいてほしい、笑顔の似合う赤西くんでいてほしい、そんな自分勝手な思いにばかり、捉われていたと思います。

反省しています。

 

とても我が儘で、自分勝手な理想を、KAT-TUNにも、赤西くんにも、押し付けてしまいました。

 

 そんな中で、新シングルの『Going!』は、5人の発売であること、ツアーに赤西くんは参加せず、5人での実施となることが決まりました。

私は、それまでの張りつめた感覚から、急に気が抜けるような思いがしました。

やっぱり、赤西くんはKAT-TUN以外の活動に目を向けていたようです。だから、KAT-TUNでいるとき、どこか違って見えたのかもしれません。

理由がはっきり分かったということもあり、そういう事情があるなら、こうなって当然なのかもしれない、と、割とすんなり受け入れられたように記憶しています。

赤西くんにとっても、メンバーにとっても、これは最良の選択なのだと、自分に言い聞かせました。

来るべくして来た結果。

仕方がない。そんな風に思いました。

そして、いつかはまた元通りの6人が見られる、そう信じていましたし、願っていました。

 

少し寂しい気持ちもありましたが、Going!で真っ白な衣装を身に纏い、真っ白なステージで、キラキラの笑顔で、のびやかに、楽しそうに歌い踊るKAT-TUNを見ると、しめやかな気持ちがだんだんと消えていきました。

あのオラオラKAT-TUNが、弾けんばかりの笑顔でパフォーマンスをする姿をこの目で見られるなんて、と感慨深い思いがあったのも事実です。

 

その後、赤西くんの脱退が正式に発表されました。

 

発表を見た瞬間、白くて明るく、笑顔で溢れる空間から、一気に現実に引き戻されたような感覚に襲われました。

5人のシングルとツアーの発表を聞いた時から、自分でも、何となく、予感はしていたことでしたが、もう二度と6人のKAT-TUNを見ることは無いのだと改めて実感した時に、何だか、気が遠くなるような感覚がしました。

 

私の好きだった6人のKAT-TUNは、「KAT-TUNの赤西くん」は、もう二度と見られない。

 

絶望的な気持ちが心をかすめました。

彼が、自分の思う道を進めるなら、それは応援すべきことなのは分かっていました。

けれど、このままさよならなんて、なんてあっけないんだろう。

この時感じた、心に小さく穴が開いて、そこから大切なものがどんどん流れ出ていってしまうような嫌な感覚は、それからずっと無くなることは無く、今でも時々私を苦しめるような気がします。

 

私の大好きな赤西くんは、ムラサキを歌う姿に恋をした赤西くんは、

KAT-TUNから、いなくなってしまいました。 

 

そして、悲しみに浸る時間を与えないかのように、海外公演を含む、KAT-TUNの怒涛のライブツアーが始まりました。

私がこの内参加できたのは、アリーナツアーとドームツアーの、大阪会場、それぞれ一度ずつでしたが、KAT-TUNの勢いは凄まじいものがありました。

メンバーの脱退という事実を、まるで感じさせないほど、熱く、寂しい気持ちをどこかに消し飛ばすくらいに、強いものでした。

この頃から、今までKAT-TUNを一緒に応援していた友人たちが一人、また一人とファンを辞めていきました。私は大学の友人に片っ端から声を掛け、やっとこさ同行者を見つけてインテックス大阪に引っ張っていきました。

コンサート終了後、彼女が立派なKAT-TUNファンになっていたことは言うまでもありません。いい仕事をしました。

 

そして、念願の上田くんのソロコンサート、『MOUSE PEACE uniting with FiVe』の全国ツアーが決まりました。あの時神様にお祈りしといて良かった。神様本当にありがとう。

神戸会場には、インテックス出の上田担となった例の彼女と出かけました。

このコンサートについて語り出すと三日三晩徹夜でキーボードを叩いても追いつかないので、今回は割愛しますが、あれは夢か幻か、自分の目と耳を疑いたくなるくらいにあざとく、可愛らしく、蠱惑的で、幽玄な、上田様が、歌い踊る、跳びはねる、夢の中で夢を見ているような、めくるめく幻想の城、美しさの暴力で満ち溢れた世界であったということだけお伝えしておきます。

自分でも何を言っているのか分かりません。

 

このまま意識がワールド記念ホールに飛んでいきかねないので話をKAT-TUNのグループ活動に戻します。

2010年、KAT-TUNをたっぷり堪能した私は、コンビナート公演を含むツアーの発表にワクワク胸を躍らせていました。

 

そこへ起こった、大震災。

 

日本中が悲しみに暮れる中、私も沈んだ気持ちで日々を過ごしていました。

 

そんな中見た、3月下旬のMステ。

桜吹雪の舞い散る中、淡い桃色のライトに照らされて、ニコニコ笑顔で、元気を届けるように、力強く、楽しく、歌い上げてくれたKAT-TUN

『PERFECT』の前向きな歌詞と、心を弾ませるような旋律が、沈んだ気持ちを癒してくれました。自然と涙がこぼれ、温かい何かが胸の中に広がっていくような感覚を、今でもしっかり覚えています。

 

とは言え、KAT-TUNの2011年の予定は白紙となり、デビュー5周年ということも、あまり意識できないままに日々が過ぎていきました。

 

そんな中、私にとって、ファン人生を揺るがすくらい大きな事件が勃発しました。

 

上田くんが、ドラマ『ランナウェイ』の役作りのため、あの可愛らしい髪の毛を全て剃り、坊主となったのです。

 

リビングのテレビで、まさに髪の毛を剃り上げるシーンを見た私は、

 

キョエーーーーーーーーー

 

と声にならない声をあげ、すぐにテレビを消して床に突っ伏しました。

 

上田くんの、、、、、髪の毛が、、、、、、

あの、私が好きだった、天真爛漫甘栗(当時まだそんなにネットをしていなかった私は甘栗というワードを知る由も無いのですが、ここでは便宜的に使用しております。)が、、、、、、、、、、、、、

 

今すぐ、剃り上げた際に床に落ちたであろう上田くんの髪の毛を拾いに行き、一束胸にひしと抱きかかえたい衝動に駆られましたが、やむなく断念し、めそめそとべそをかきながら自室に退散しました。

 

どうしようどうしよう……

 

…別にどうすることもできないのですが、胸の前で手を組みながら、打ち震えていました。

 

その後すぐ発売された『BIRTH』のメイキング映像を、呆然と眺めました。

(そのあとに『STAR RIDER』のPVを見てちょっぴりホッとしました。)

 

出演していたバラエティ番組『KAT-TUNの絶対マネたくなるTV』でも、途中から髪型が変わりました。

 

私の周りから、甘栗竜也様がどんどん消えていく…

そのことに私は恐怖を感じました。

 

髪型が変わったくらいで何を大げさな、とお思いでしょう。

しかし、上田くんは髪型とともに、自身のキャラ設定まで変えてしまうという性質をお持ちなのです。

 

やばい。

 

上田くんが黒髪をツンツンさせ出した時に、そう思いました。

多分あの天真爛漫で、あざとくて、可愛くて、瀟洒で、美人で、ぶりっこで、女子力に溢れる、あざとくて、あざとい上田くんはもう戻ってこない。

そう思いました。

それは、自分でも驚くほどに、衝撃的な出来事であり、喪失感にさいなまれる日々が続きました。

初めて2日連続で参加した、ライブ『CHAIN』は、光を多用した演出がかっこよく、メンバーもすごく生き生きとしていて、とても楽しかったのですが、ちょっとしょんぼりしている自分がいました。インテックス出の友人も、ちょっとしょんぼりしていました。

髪型が変わって、キャラが変わったって、上田くんは上田くんじゃないか。

そう言い聞かせても、なかなか受け入れられない自分に、嫌気がさしました。

その程度のファンだったのかと、自分で自分にがっかりしました。

 

自分自身に対する嫌悪感が膨らむ中、私は大学4年生となり、就職活動と卒業論文に追われる日々が始まりました。

とりあえず、自身の上田くんへのファン心理分析は一旦棚に上げ、私は卒業論文のテーマをKAT-TUNに決めました。

来る日も来る日も、KAT-TUNのPVを瞬きせず見つめ、歌詞分析をし、TV出演時の動画を漁り……という何だか普通のヲタ活動みたいなことをしつつ、論文を書き進めました。

そして、ヲタ活動を繰り返すこと8ヶ月。

3万9千字、たっぷりKAT-TUNのことを語りまくった稀有な論文が完成しました。

良かった良かった、これで無事卒業できます。

 担当教授の趣味嗜好が大きく反映され、自分が当初書きたかった内容よりも大幅に変態度合いが増したことには、もう目をつぶることにしましょう。

 

そんなこんなで、1年間どっぷり過去のKAT-TUNと向き合った私は、この年、リアルタイムのKAT-TUNの活動を追うことに、若干手を抜いておりました。すみません。

 

論文を書き終えると、あっという間に卒業式を迎え、2013年春、晴れて私は新社会人となりました。

5月の『FACE to Face』発売以降、あまり活動が無いことを、頭のどこかで気に掛けながらも、新しい環境で必死に日々を過ごしていたこの時期、KAT-TUNからは少し遠のいてしまっていました。

 

 

そして10月。

 

その報せは突然、何の前触れも無く訪れました。

田中聖、解雇。脱退。

 

俄かには信じがたい、現実。

 

え、なんで?

なんでこんなことになるの?

 

そんな思いでいっぱいになりました。

ついこの間まで、一緒に笑っていた田中くんが、「いつまでもKAT-TUNでいる」と言ってくれた田中くんが、KAT-TUNじゃなくなる?

どういうことか、全く理解ができません。

 

赤西くんの時とは明らかに違う状況、異例の事態、何より急すぎるその報せに、感情が全くついてきませんでした。

 

ばかばかばか。

ずっとKAT-TUNでいてくれるって言ったのに、嘘つき嘘つき。

PV撮るためにまたCD出すって言ってたじゃんか。

 

悲しくて、寂しくて、悔しくて、そう思いながら泣きました。

 

田中くんがいなくなることは、とてもとても辛いことでしたが、残りのメンバーの、これからもついてきてほしいという力強い言葉のおかげで、グループに対する不安は、不思議とそこまで無かったように思います。

 

今度も、悲しみに浸る隙を与えないくらいのスピードで、初の単独カウントダウンライブの開催が決定しました。

 

今までの歴史を振り返り、過去のパフォーマンスが再現される神としか言えない演出に感涙ひとしお。

更にこのライブは、火と水を駆使した圧巻のステージで、KAT-TUNらしさが前面におし出された気迫溢れるものでした。そして、最も印象的であった『PHOENIX』。既に多くのファンの方がおっしゃっていることではありますが、その時のKAT-TUNは、まるで本当に何度でも蘇る不死鳥のように強く、しなやかで、美しかったです。

 

2014年は、久しぶりのシングルCDリリースと、ライブツアー、タメ旅がローカル放送なのには歯ぎしりしましたが、『ザ少年倶楽部』の新MC抜擢、2度目のカウコンなど、嬉しい出来事の連続で、1年通してずっとKAT-TUN満載の、とても楽しい年でした。

 

2015年、『Dead or Alive』と言えば、そう、忘れてはならないのが、彗星のごとく現れて消えていった、「竜子」です。相変わらず甘栗ロスから立ち直れず、ツンツンヘアーを更に金色に染めてどんどんオラオラ感が増してきた上田くんが、一瞬だけ見せてくれたあの麗しい姿に、歓喜乱舞したことは言うまでもありません。

 

そして、多分私がこの先一生後悔するであろう、2015年3月。

『KISS KISS KISS』が発売される頃、体調を崩した私は、やむなく『quarter』の公演申し込みを見送りました。

嗚呼、できることならこの時の自分に張り手の2・3発かまして身の不逞をこんこんと戒め、青色の振込用紙と現金を手に握らせ最寄りの郵便局まで引きずっていきたい。

今も、悔しさのあまり叩きつけるようにキーボードを打っています。

DVD化してくれたことにとにかく感謝。

あんなに何度も繰り返して見たライブDVDはこれが初めてです。

 

この頃から私はやっとこさ、TwitterKAT-TUNの情報を取得するようになります。

飛び交う独特のヲタ用語、ふんわりとしか知らなかったコンビの呼び名、メンバーを表す顔文字、自分が知らないことがたくさんあることに驚き、これまでなにやってたんだと恥じ入り、たくさんの新しい知識を吸収しました。

そして、毎日恐ろしいスピードで更新される暴力的なまでの情報の波、嵐、洪水。全部知りたい、全部追いたい、けれども自分のキャパが全くついていかないという幸せな悲鳴。そして何よりKAT-TUNへの愛に満ち溢れたTLから、彼らの新しい見方、捉え方をたくさん知り、私の世界が一瞬の内にして、一気に広がりました。

本当に今まで私は何をしていたのでしょう、世界はこんなにも美しく、素晴らしいものだったのです。

それからは、本当に彼らの見方が変わりました。

仕事にも慣れ、KAT-TUNに浸る余裕が出てきたところに、4人になってからは個々の活躍もめざましく、それぞれの良さを改めて知りました。

ファン活動9年目にしてやっとこさ、自担以外のメンバーにも、しっかり目を向け始めるという何ともお粗末な私でしたが、ここにTwitterが投入され、勢いは更に加速しました。

それまで知らなかった、ファンの間では通説となっているメンバーのキャラ。見下し帝王中丸くん、女の子棲んでる亀梨くん。知るともうそうとしか見えなくなってくるから不思議です。自分もついこないだまで知らなかったくせに、ファンだけが知っている的なちょっぴり優越感。楽しい。

また、ただメンバーが隣同士に並ぶだけで発動するコンビ萌え概念。シンメ尊い、などと覚えたての用語を振りかざし、一挙一動に胸が高鳴る。もう、何でも愛しい、何でも可愛い。

上田くんの金髪がどうした、ツンツンしてて金色でとっても可愛いじゃないか、何をそんなにしょぼくれてたんだ自分。

 

短絡的で単純過ぎる自分にはほとほと呆れながらも、

これはやばい、楽し過ぎる。

 

そんな感じで2015年、私はこの時もう一度、本格的に、沼に堕ちました。

 

TVや雑誌で目にする4人は、みんなとても楽しそうで仲良しで、10周年を前にとても団結していて、このままのもっともっと素敵なグループになって、どんどん大きくなってファンにたくさん新しい景色を見せてくれる。

そう信じて疑わず、ワクワク胸を高鳴らせ、大好きな4人の輝く姿を、TVに雑誌に舞台にと、一瞬も見逃すまいと追いかけていました。

 

 

2015年11月24日。

 

仕事が終わった午後9時半。

先輩がスマホでニュースを見て、驚いて私に教えてくれました。

 

先輩に何か返事をしたと思いますが、あまりよく覚えていません。

 

とにかく、家に帰ろう…

それくらいのことしか、考えられませんでした。 

 

帰宅途中、やっと少しまともになった頭で、真っ先にKAT-TUNのこれからのことを考えました。

…もしかしたら、もう無理かもしれない

自分で考えたその可能性を頭で必死に打ち消しながら、

かのインテックス出の友人に、泣きながら電話をかけ、ふらふらと、どこをどう通ったのか、何とか家まで帰りつきました。

 

 

あの目の覚めるように赤い、あの色

あんなにつらい色を、私は知りません。

 

 

それからというもの、仕事が終わって、帰宅して、一人になって、気付くと、泣いている、そんな日が続きました。

あと何日、数えながら毎日が過ぎていく。

じりじりと首を絞められるように苦しく、つらく、耐え難く、私は運命を呪いました。

 

それでも、大好きなKAT-TUNの今の姿を、この目に焼き付けたい。

その思いが日を追うごとに強くなりました。

 

今まで地方だからと諦めていた番組協力に応募したり、要望はがきを書いたり、できることをできる限りやりながら、3月まで、KAT-TUNを追い続けました。

 

それぞれの決意を胸に宿した4人のKAT-TUNは、今まで見たどのKAT-TUNよりも、美しく、儚く、強く、最高にかっこよかった。

 

ありがとう。

 

そう心から思えました。

 

 

2016年4月、私の大好きなKAT-TUNは、3人で再出発しました。

そして、1ヶ月を瞬く間に駆け抜け、5月1日をもってグループ活動を一旦停止させ、充電期間へと入りました。

まだ充電期間に入ってそれほど時間は経っていませんが、今まで10年近く、ずっと見つめてきたものがそこに無いという感覚は、初めてのもので、今は不安のほうが大きいです。

けれど、3人は未来を約束してくれたので、ファンとして、個々のメンバーの活動をこれまで通り応援しながら、3人並んで笑っているその姿が見られる時まで、じっと待ちたいと思います。

 

 

2005年、亀梨くんと赤西くんを知ってから、11年、こんな今が待っているとは、想像すらしていませんでしたが、これまでKAT-TUNを好きでいて、本当に良かったと、今この瞬間、心から思います。

勿論、言ってしまえば、アイドルとファン、それだけの関係です。

でも、大げさかもしれませんが、KAT-TUNに出会わなければ、知らなかった、思い、感情、たくさんのものを、6人のメンバーそれぞれから、もらいました。

そして、いつだって、彼らは、見たことのない景色を、みせてくれました。

 

ありがとう。

 

大好きなKAT-TUNが、これからも、仲良く、笑って、幸せに溢れた世界を歩んでいけますように。

 

心から、あなたたちの活躍と、笑顔を、願っています。

 

 

 

 

 

 

トピック「KAT-TUN」について

 

 ・・・もしここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。・・・