君に伝えたい言葉があるんだ

急に思ったことを思い留めておくために綴るブログです

KAT-TUNと私の10年を振り返って 導入編

はじめに。

私はKAT-TUNが好きです。

先日晴れてデビュー10周年を迎えた彼らに寄せて、皆様が様々に思いを綴られているのを拝見し、私も何か書き残しておきたいと思い、とりあえずブログを開設して今この文章を書いている次第です。

開設しといてなんですがそもそもはてなブログとはなんでしょう?

右も左も分かりません。でもとにかく書きたかった。

これから勉強するのでとりあえず今は書きたいことを書きたいままに綴ろうと思います。

 

ここから綴るのは、ただ私がKAT-TUNに出会ってから今までのことを懐かしく思い出しながら、やいのやいの言って、感傷に浸りたいがためだけの文章です。ですのでもし万が一このブログにたどり着かれ、この文章をお読みになって、それでお気に触られる方がいらっしゃったらすみません。そして書き進めていて気づきました、とんでもなく長いです。

だらだら書きたいことだけを自己満足に綴る、いちファンの戯言と思ってお許しください。

 

前置きがどんどん長くなりそうなので、唐突に本編へ突入いたします。

私がKAT-TUNの存在を知ったのは2005年初頭、中学2年生のころ、友人たちが『ごくせん』がどうのこうのと騒ぐ中で耳にしたのが最初だったと思います。友人が手にする雑誌『明星』には、当時人気絶頂であった亀梨和也さんと赤西仁さんの写真が大きく掲載されており、この2人が『ごくせん』というドラマに出演しており、それがすごくかっこいいのだということ、また、2人はかの有名なジャニーズ事務所に所属するアイドルであり、KAT-TUNというグループのメンバーであるのだというようなことを、一通り教えてもらいました。

しかし、何を隠そうわたくしその当時はジャニーズのことが大の苦手、テレビにジャニーズのアイドルが映し出されるたび、恐れおののいてチャンネルを変えていたくらいだったのです。

今考えるに、恐らく、興味はあるけどアイドルが好きとかなんかそういうのはちょっと、みたいな中学生特有の変なプライドとキャラ設定をこじらせていただけなのだろうと思います。

あと、沼に堕ちるのを本能的に察知して回避していたのかもしれません。

無駄な抵抗はよせ、あと1年で頭まで浸かるから。

 

とにもかくにも、そんな私にとって、KAT-TUNは、中学生界隈でHOTな芸能情報、レベルにとどまり、

「なー、亀梨君と赤西君どっちがかっこいいと思う~?」との友人たちの可愛らしい問いかけに対し、「いや、そもそもジャニーズに興味ないし」などと可愛げの欠片もなく鼻であしらって過ごしていたのであります。できることならこの瞬間に戻って、ノリノリで質問に答えたい。今でもいい。誰か聞いてくれ、全力で答えるから。ちなみにどっちも大好きだ。

結局ごくせんをリアルタイムで視聴することは一度も無く、テレビでクランキーのCMとか見たら、あ、これがKAT-TUNか…とかはちょっと思いつつ、日々は過ぎていきました。

そして2005年夏、『ドラゴン桜』放送。中学3年生、ちょうど受験生だった私は興味津々、ドラマを楽しんで視聴しておりました。

この半年後に山Pに堕ちることなど想像すらせず、ドラマの最後に流れるテロップに、

挿入歌

『カラフル』

山下智久

の文字を見て、へえ、この東大目指してるお兄さん、お歌を歌う人なのか~などと、のん気に思ったことを覚えております。本当にのん気。

2005年冬、『野ブタ。をプロデュース』放送。

すごかった。ごくせんにも増してすごかった。

すっごく女子たちが騒いでた。

皆あちこちで「野ブタ。パワー注入!」とかやってた。なんかピースサインを目元に当てて、皆とっても楽しそうに、時々「~だっちゃ」などと会話に謎の語尾を付けて喋っていた。そういやごくせんの時もみんな「ちゃんと掃除してくだパイ!!」とか言ってたな。

この時も、私は特別流行りに興味を持たないままで、一度もリアルタイムでドラマを視聴することはありませんでした。

 

そして迎えた運命の、2006年、年明け。

私は遂に見てしまったのです。

 

今となっては、それがなんの番組だったのか、思い出せません。

多分、2005年のヒット曲を振り返る、そんな特集が組まれていたのだと思います。

リビングでテレビを見ていた母親が、キッチンにいた私に話しかけました。

『やっぱりジャニーズは、ああいう衣装が似合うね。カッコイイよなぁ。』

 

…ジャニーズ?

私の苦手な?

 

『えー、でもジャニーズはあんまり見たくないというか…』

 

ぶつくさ言いながらリビングに移動し、母が見ていたテレビに目を向けました。

その瞬間、私の目にそれが飛び込んできたのです。

 

ヒラヒラの腰布。

キラキラ舞う紙吹雪。

ステージいっぱいに所狭しと歌い踊る、たくさんの男の子達。

 

………え?

 

 

…これは……なに…………??

 

 

まるで雷に打たれたかのように、私はしばし呆然とテレビの前に立ちつくしていました。

 

そして、少し遅れて耳に入ってきた、その、メロディ。

どこか哀愁の漂う、懐かしい、それでいてキャッチーな、旋律。

 

“si 俺達は いつでも………"

 

…なんだこれは。

身体の中枢に直で訴えかけてくるこの響きは、なんだ。

 

とにかく棒立ちの私は、混乱する目と耳を必死に奮い立たせ、恐らく時間にしてはほぼ十数秒であったその映像を、食い入るように見つめていました。

その瞬間の衝撃は今でもはっきり思い出すことができます。

 

 

これが………

これが、ジャニーズ………!!!!

 

今までムキになって避け続けていたその箱を、私はついに開いてしまいました。

 

もうお判りでしょうが、私が見た映像こそ修二と彰の歌う『青春アミーゴ』、発売1か月でミリオンセールスを叩き出した、かの大ヒットソングであったのです。

 

実はその当時、山口百恵さんの熱心なファンであった私は、昭和歌謡を毎日聴きこんでいたこともあり、青春アミーゴの歌謡曲っぽいと言われるその調べについつい惹かれたのかもしれません。

山口百恵さんのファンであったという一文には我ながらツッコミどころが満載ですが、これについて語り出すと更に収集がつかないことになってしまいますので、ここではさっくり割愛いたします。

 

とにかく興奮冷めやらぬ私はCDショップへ走り、青春アミーゴのCDを購入しました。

最初はどちらかというと歌に惹かれたという感じで、ジャケ写を眺めながら、

はへ~~この亀梨さんとおっしゃる方も、山下さんとおっしゃる方もどちらもかっこいいなぁ、さすがジャニーズ!

などとのん気に思っていましたが、その内すぐに

 

え…?

ちょ、今の『ミ・アミーゴ』の言い方めっちゃそそるんだけどえっ待って?

 

みたいな感じでずぶずぶと沼にはまっていきました。

その中で、修二と彰がそれぞれ、ごくせんの亀梨さん、ドラゴン桜の山下さんであるということを知りました。特に、私がこの時恋をしたのは、彰、つまり山下智久さんだったので、ドラゴン桜をのん気に視聴していた半年前の自分を思いつく限りの言葉でなじったのは言うまでもありません。

そこからはジャニーズにはまった人なら皆が通る道、ジャニーズ好きの友人から関連資料をありったけ借りまくり、ひとつづつチェックしては身悶えし苦しむというお決まりの展開へと進んでいくのです。

もちろん、近所のファンシーショップで非公式の下敷きやらキーホルダーやらも買い込みました。そこは中学3年生だったので許してやってください。

初めて買った雑誌はduet 2006年2月号、表紙はKAT-TUN、二重構造になっていて、ぺりぺりとめくると下から別写真のKAT-TUNがこんにちはするというあの号です。

残念ながら、当時私は山Pファン、KAT-TUN好きの友人にKAT-TUNのページは切り抜いて贈呈してしまいました。

 

2006年1月、晴れてジャニヲタの仲間入りを果たした私は、山Pの、そしてNEWSのファンとなり、受験が終われば盛大にNEWSを追いかけること、心ゆくまで野ブタ。をプロデュースのビデオ(友人録画)を見ること、を心に誓い、優しい友人が大量にくれた各種雑誌の山Pの切り抜きを心の拠り所として、受験勉強に励んだのでした。

 

 導入編、終わり。

まだまだ続く。

 

トピック「KAT-TUN」について