君に伝えたい言葉があるんだ

急に思ったことを思い留めておくために綴るブログです

KAT-TUNと私の10年を振り返って 後編 というか本編

 

leciely.hatenablog.com

leciely.hatenablog.com

 …とまぁ、何の面白みもない自分の身の上話をダラダラ書き続けてきたわけですが、前編にてめでたく私がKAT-TUNのファンになりましたので、ここからやっとこさ本編に入りたいと思います。

 

2008年、『DON'T U EVER STOP』発売。上田くんと中丸くんのソロ曲が入ったバージョンを胸に抱きしめ帰宅し、ピアノの旋律の美しい名曲『愛の華』を繰り返し聴いてはうっとりとその世界に浸っておりました。ちなみに赤西くんのソロ曲『LOVE JUICE』は全編英語の歌詞でしたが、カラオケで歌えるよう必死に英語の読みを覚え練習しました。多分今でも歌えます。

このDON'T U EVER STOPという歌、かっこいい曲の多いKAT-TUNの中でもとりわけかっこいいのです。大好きな歌の一つでもあります。PVもストーリー仕立てで豪華で、とても良い。大好きです。

初めて出かけたKAT-TUNのコンサート、『QUEEN OF PIRATES』。友人が引き当てたアリーナ席で、心ゆくまでKAT-TUNを堪能しました。ちなみに私がKAT-TUNのコンサートで、アリーナ席にて鑑賞したのは後にも先にもこれ一度きりです。チケット運に乏しいようです。

同じ年に上田くんのソロコンサートが東京で行われましたが、東京なんてどうやって行くのかすら知らなかった私には、参戦なんて夢の世界のお話でした。でも、あの扇子は喉から手が出るほど欲しかった。次は絶対関西に来てねと、神様にお祈りしておきました。

 

2009年、『神の雫』、『RESCUE』、どちらのドラマもしっかりチェックし、主題歌を聴き込みました。2か月連続リリースだったので、たくさんKAT-TUNを見ることができました。

そして…!!!ついにやってきました、わが君、上田竜也様、連ドラ『婚カツ!』出演決定!!!!フーーーーーー!!!!!!!!おめでとうございます!!!!!!!!

可愛かったなぁ…可愛かった、それはそれは可愛かった。初登場シーンだけでその日のうちに50回くらいリピートした記憶があります。あの、手を振りながらやってくるところですね。ああ可愛い。本当に可愛い。幸せ。初回を見ただけで、もう思い残すことは無いと思ったくらいです。

この年のコンサート、『Break the Records』にも、もちろん赴き、そのスケールの大きさにとても驚きました。ただ、私はコンサートに行っても、興奮しすぎるためか、コンサート中の記憶がまるっと全部欠落しているので、正直内容はあまり覚えていません。ただ、なんかすごかったことだけはよく覚えていますよ。

適当に聞こえますね。すみません。

 

2010年、赤西くんの映画『BANDAGE』は前売り券を買って友人と観に行きました。シングルもアルバムも、寒い部屋にストーブをつけて、よく聴いていたなぁと思い出します。

そして、待ちに待ったおよそ1年ぶりのKAT-TUNのシングル、『Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜』が発売されました。喜びに胸を躍らせながら音楽番組への出演を見守ると同時に、私は何やら不穏な空気を感じ取りました。

 

赤西くんの様子、変じゃない…?

 

余談になりますが、私はかなり最近まで、インターネットを介してKAT-TUNの情報を得ることを、何となく怖いと思って避けていました。だいぶ視野の狭い認識を持っていた私には、余計な情報や、見たくない情報が目に入るネットの世界に抵抗があったのです。情報の正しい取捨選択をすれば、ファンにとって、これほど素晴らしいツールは無いというのに…愚かでした。

なので、このあたりのことも、ネットでの情報などは一切目にしていません。

そんな私でさえも、何だか危ういものを、KAT-TUNから感じるほどでした。

後から知ったことですが、どうやら私が勘付くよりだいぶ前から、既に色々な噂は出ていたようです。

メンバーは相変わらず元気だけど、だんだん笑顔の消えていく赤西くん。歌を披露するときも、サングラスを外さず、うつむきながら歌っている赤西くん。テレビの中でも、雑誌の中でも、彼のキラキラした表情が見られなくなり、なんだかふてくされたようにいつもニット帽を被っている…そんな印象を受けました。

もちろんこれは私の主観です。このブログに書かれてある内容は、全て個人的な感想であるということを、もう一度ここでお断りしておきます。

 

さて、私は、だんだん不安になってきました。

 

どうしたんだろう?

何があったんだろう?

 

考えれば考えるほど、寂しさが募りました。

 

メンバーとふざけあって、わちゃわちゃしたり、シュールなボケを連発したり、田口くんのボケには鋭く突っ込んだり。

いつも、メンバーとファンを笑顔にしてくれた赤西くん。

面白いことがあれば、手を叩いて、嬉しそうに笑っている姿が、印象的でした。

 私が好きだったのは、そんな、太陽のように明るい、赤西くんです。

 でも、少なくとも私には、その時の赤西くんはまるで別人に見えました。

 今思えば、どんな赤西くんでも、全部受け入れて応援するべきだったのかもしれません。けれど、それができるほどの心の許容量が、私にはありませんでした。

 自分の好きな赤西くんでいてほしい、笑顔の似合う赤西くんでいてほしい、そんな自分勝手な思いにばかり、捉われていたと思います。

反省しています。

 

とても我が儘で、自分勝手な理想を、KAT-TUNにも、赤西くんにも、押し付けてしまいました。

 

 そんな中で、新シングルの『Going!』は、5人の発売であること、ツアーに赤西くんは参加せず、5人での実施となることが決まりました。

私は、それまでの張りつめた感覚から、急に気が抜けるような思いがしました。

やっぱり、赤西くんはKAT-TUN以外の活動に目を向けていたようです。だから、KAT-TUNでいるとき、どこか違って見えたのかもしれません。

理由がはっきり分かったということもあり、そういう事情があるなら、こうなって当然なのかもしれない、と、割とすんなり受け入れられたように記憶しています。

赤西くんにとっても、メンバーにとっても、これは最良の選択なのだと、自分に言い聞かせました。

来るべくして来た結果。

仕方がない。そんな風に思いました。

そして、いつかはまた元通りの6人が見られる、そう信じていましたし、願っていました。

 

少し寂しい気持ちもありましたが、Going!で真っ白な衣装を身に纏い、真っ白なステージで、キラキラの笑顔で、のびやかに、楽しそうに歌い踊るKAT-TUNを見ると、しめやかな気持ちがだんだんと消えていきました。

あのオラオラKAT-TUNが、弾けんばかりの笑顔でパフォーマンスをする姿をこの目で見られるなんて、と感慨深い思いがあったのも事実です。

 

その後、赤西くんの脱退が正式に発表されました。

 

発表を見た瞬間、白くて明るく、笑顔で溢れる空間から、一気に現実に引き戻されたような感覚に襲われました。

5人のシングルとツアーの発表を聞いた時から、自分でも、何となく、予感はしていたことでしたが、もう二度と6人のKAT-TUNを見ることは無いのだと改めて実感した時に、何だか、気が遠くなるような感覚がしました。

 

私の好きだった6人のKAT-TUNは、「KAT-TUNの赤西くん」は、もう二度と見られない。

 

絶望的な気持ちが心をかすめました。

彼が、自分の思う道を進めるなら、それは応援すべきことなのは分かっていました。

けれど、このままさよならなんて、なんてあっけないんだろう。

この時感じた、心に小さく穴が開いて、そこから大切なものがどんどん流れ出ていってしまうような嫌な感覚は、それからずっと無くなることは無く、今でも時々私を苦しめるような気がします。

 

私の大好きな赤西くんは、ムラサキを歌う姿に恋をした赤西くんは、

KAT-TUNから、いなくなってしまいました。 

 

そして、悲しみに浸る時間を与えないかのように、海外公演を含む、KAT-TUNの怒涛のライブツアーが始まりました。

私がこの内参加できたのは、アリーナツアーとドームツアーの、大阪会場、それぞれ一度ずつでしたが、KAT-TUNの勢いは凄まじいものがありました。

メンバーの脱退という事実を、まるで感じさせないほど、熱く、寂しい気持ちをどこかに消し飛ばすくらいに、強いものでした。

この頃から、今までKAT-TUNを一緒に応援していた友人たちが一人、また一人とファンを辞めていきました。私は大学の友人に片っ端から声を掛け、やっとこさ同行者を見つけてインテックス大阪に引っ張っていきました。

コンサート終了後、彼女が立派なKAT-TUNファンになっていたことは言うまでもありません。いい仕事をしました。

 

そして、念願の上田くんのソロコンサート、『MOUSE PEACE uniting with FiVe』の全国ツアーが決まりました。あの時神様にお祈りしといて良かった。神様本当にありがとう。

神戸会場には、インテックス出の上田担となった例の彼女と出かけました。

このコンサートについて語り出すと三日三晩徹夜でキーボードを叩いても追いつかないので、今回は割愛しますが、あれは夢か幻か、自分の目と耳を疑いたくなるくらいにあざとく、可愛らしく、蠱惑的で、幽玄な、上田様が、歌い踊る、跳びはねる、夢の中で夢を見ているような、めくるめく幻想の城、美しさの暴力で満ち溢れた世界であったということだけお伝えしておきます。

自分でも何を言っているのか分かりません。

 

このまま意識がワールド記念ホールに飛んでいきかねないので話をKAT-TUNのグループ活動に戻します。

2010年、KAT-TUNをたっぷり堪能した私は、コンビナート公演を含むツアーの発表にワクワク胸を躍らせていました。

 

そこへ起こった、大震災。

 

日本中が悲しみに暮れる中、私も沈んだ気持ちで日々を過ごしていました。

 

そんな中見た、3月下旬のMステ。

桜吹雪の舞い散る中、淡い桃色のライトに照らされて、ニコニコ笑顔で、元気を届けるように、力強く、楽しく、歌い上げてくれたKAT-TUN

『PERFECT』の前向きな歌詞と、心を弾ませるような旋律が、沈んだ気持ちを癒してくれました。自然と涙がこぼれ、温かい何かが胸の中に広がっていくような感覚を、今でもしっかり覚えています。

 

とは言え、KAT-TUNの2011年の予定は白紙となり、デビュー5周年ということも、あまり意識できないままに日々が過ぎていきました。

 

そんな中、私にとって、ファン人生を揺るがすくらい大きな事件が勃発しました。

 

上田くんが、ドラマ『ランナウェイ』の役作りのため、あの可愛らしい髪の毛を全て剃り、坊主となったのです。

 

リビングのテレビで、まさに髪の毛を剃り上げるシーンを見た私は、

 

キョエーーーーーーーーー

 

と声にならない声をあげ、すぐにテレビを消して床に突っ伏しました。

 

上田くんの、、、、、髪の毛が、、、、、、

あの、私が好きだった、天真爛漫甘栗(当時まだそんなにネットをしていなかった私は甘栗というワードを知る由も無いのですが、ここでは便宜的に使用しております。)が、、、、、、、、、、、、、

 

今すぐ、剃り上げた際に床に落ちたであろう上田くんの髪の毛を拾いに行き、一束胸にひしと抱きかかえたい衝動に駆られましたが、やむなく断念し、めそめそとべそをかきながら自室に退散しました。

 

どうしようどうしよう……

 

…別にどうすることもできないのですが、胸の前で手を組みながら、打ち震えていました。

 

その後すぐ発売された『BIRTH』のメイキング映像を、呆然と眺めました。

(そのあとに『STAR RIDER』のPVを見てちょっぴりホッとしました。)

 

出演していたバラエティ番組『KAT-TUNの絶対マネたくなるTV』でも、途中から髪型が変わりました。

 

私の周りから、甘栗竜也様がどんどん消えていく…

そのことに私は恐怖を感じました。

 

髪型が変わったくらいで何を大げさな、とお思いでしょう。

しかし、上田くんは髪型とともに、自身のキャラ設定まで変えてしまうという性質をお持ちなのです。

 

やばい。

 

上田くんが黒髪をツンツンさせ出した時に、そう思いました。

多分あの天真爛漫で、あざとくて、可愛くて、瀟洒で、美人で、ぶりっこで、女子力に溢れる、あざとくて、あざとい上田くんはもう戻ってこない。

そう思いました。

それは、自分でも驚くほどに、衝撃的な出来事であり、喪失感にさいなまれる日々が続きました。

初めて2日連続で参加した、ライブ『CHAIN』は、光を多用した演出がかっこよく、メンバーもすごく生き生きとしていて、とても楽しかったのですが、ちょっとしょんぼりしている自分がいました。インテックス出の友人も、ちょっとしょんぼりしていました。

髪型が変わって、キャラが変わったって、上田くんは上田くんじゃないか。

そう言い聞かせても、なかなか受け入れられない自分に、嫌気がさしました。

その程度のファンだったのかと、自分で自分にがっかりしました。

 

自分自身に対する嫌悪感が膨らむ中、私は大学4年生となり、就職活動と卒業論文に追われる日々が始まりました。

とりあえず、自身の上田くんへのファン心理分析は一旦棚に上げ、私は卒業論文のテーマをKAT-TUNに決めました。

来る日も来る日も、KAT-TUNのPVを瞬きせず見つめ、歌詞分析をし、TV出演時の動画を漁り……という何だか普通のヲタ活動みたいなことをしつつ、論文を書き進めました。

そして、ヲタ活動を繰り返すこと8ヶ月。

3万9千字、たっぷりKAT-TUNのことを語りまくった稀有な論文が完成しました。

良かった良かった、これで無事卒業できます。

 担当教授の趣味嗜好が大きく反映され、自分が当初書きたかった内容よりも大幅に変態度合いが増したことには、もう目をつぶることにしましょう。

 

そんなこんなで、1年間どっぷり過去のKAT-TUNと向き合った私は、この年、リアルタイムのKAT-TUNの活動を追うことに、若干手を抜いておりました。すみません。

 

論文を書き終えると、あっという間に卒業式を迎え、2013年春、晴れて私は新社会人となりました。

5月の『FACE to Face』発売以降、あまり活動が無いことを、頭のどこかで気に掛けながらも、新しい環境で必死に日々を過ごしていたこの時期、KAT-TUNからは少し遠のいてしまっていました。

 

 

そして10月。

 

その報せは突然、何の前触れも無く訪れました。

田中聖、解雇。脱退。

 

俄かには信じがたい、現実。

 

え、なんで?

なんでこんなことになるの?

 

そんな思いでいっぱいになりました。

ついこの間まで、一緒に笑っていた田中くんが、「いつまでもKAT-TUNでいる」と言ってくれた田中くんが、KAT-TUNじゃなくなる?

どういうことか、全く理解ができません。

 

赤西くんの時とは明らかに違う状況、異例の事態、何より急すぎるその報せに、感情が全くついてきませんでした。

 

ばかばかばか。

ずっとKAT-TUNでいてくれるって言ったのに、嘘つき嘘つき。

PV撮るためにまたCD出すって言ってたじゃんか。

 

悲しくて、寂しくて、悔しくて、そう思いながら泣きました。

 

田中くんがいなくなることは、とてもとても辛いことでしたが、残りのメンバーの、これからもついてきてほしいという力強い言葉のおかげで、グループに対する不安は、不思議とそこまで無かったように思います。

 

今度も、悲しみに浸る隙を与えないくらいのスピードで、初の単独カウントダウンライブの開催が決定しました。

 

今までの歴史を振り返り、過去のパフォーマンスが再現される神としか言えない演出に感涙ひとしお。

更にこのライブは、火と水を駆使した圧巻のステージで、KAT-TUNらしさが前面におし出された気迫溢れるものでした。そして、最も印象的であった『PHOENIX』。既に多くのファンの方がおっしゃっていることではありますが、その時のKAT-TUNは、まるで本当に何度でも蘇る不死鳥のように強く、しなやかで、美しかったです。

 

2014年は、久しぶりのシングルCDリリースと、ライブツアー、タメ旅がローカル放送なのには歯ぎしりしましたが、『ザ少年倶楽部』の新MC抜擢、2度目のカウコンなど、嬉しい出来事の連続で、1年通してずっとKAT-TUN満載の、とても楽しい年でした。

 

2015年、『Dead or Alive』と言えば、そう、忘れてはならないのが、彗星のごとく現れて消えていった、「竜子」です。相変わらず甘栗ロスから立ち直れず、ツンツンヘアーを更に金色に染めてどんどんオラオラ感が増してきた上田くんが、一瞬だけ見せてくれたあの麗しい姿に、歓喜乱舞したことは言うまでもありません。

 

そして、多分私がこの先一生後悔するであろう、2015年3月。

『KISS KISS KISS』が発売される頃、体調を崩した私は、やむなく『quarter』の公演申し込みを見送りました。

嗚呼、できることならこの時の自分に張り手の2・3発かまして身の不逞をこんこんと戒め、青色の振込用紙と現金を手に握らせ最寄りの郵便局まで引きずっていきたい。

今も、悔しさのあまり叩きつけるようにキーボードを打っています。

DVD化してくれたことにとにかく感謝。

あんなに何度も繰り返して見たライブDVDはこれが初めてです。

 

この頃から私はやっとこさ、TwitterKAT-TUNの情報を取得するようになります。

飛び交う独特のヲタ用語、ふんわりとしか知らなかったコンビの呼び名、メンバーを表す顔文字、自分が知らないことがたくさんあることに驚き、これまでなにやってたんだと恥じ入り、たくさんの新しい知識を吸収しました。

そして、毎日恐ろしいスピードで更新される暴力的なまでの情報の波、嵐、洪水。全部知りたい、全部追いたい、けれども自分のキャパが全くついていかないという幸せな悲鳴。そして何よりKAT-TUNへの愛に満ち溢れたTLから、彼らの新しい見方、捉え方をたくさん知り、私の世界が一瞬の内にして、一気に広がりました。

本当に今まで私は何をしていたのでしょう、世界はこんなにも美しく、素晴らしいものだったのです。

それからは、本当に彼らの見方が変わりました。

仕事にも慣れ、KAT-TUNに浸る余裕が出てきたところに、4人になってからは個々の活躍もめざましく、それぞれの良さを改めて知りました。

ファン活動9年目にしてやっとこさ、自担以外のメンバーにも、しっかり目を向け始めるという何ともお粗末な私でしたが、ここにTwitterが投入され、勢いは更に加速しました。

それまで知らなかった、ファンの間では通説となっているメンバーのキャラ。見下し帝王中丸くん、女の子棲んでる亀梨くん。知るともうそうとしか見えなくなってくるから不思議です。自分もついこないだまで知らなかったくせに、ファンだけが知っている的なちょっぴり優越感。楽しい。

また、ただメンバーが隣同士に並ぶだけで発動するコンビ萌え概念。シンメ尊い、などと覚えたての用語を振りかざし、一挙一動に胸が高鳴る。もう、何でも愛しい、何でも可愛い。

上田くんの金髪がどうした、ツンツンしてて金色でとっても可愛いじゃないか、何をそんなにしょぼくれてたんだ自分。

 

短絡的で単純過ぎる自分にはほとほと呆れながらも、

これはやばい、楽し過ぎる。

 

そんな感じで2015年、私はこの時もう一度、本格的に、沼に堕ちました。

 

TVや雑誌で目にする4人は、みんなとても楽しそうで仲良しで、10周年を前にとても団結していて、このままのもっともっと素敵なグループになって、どんどん大きくなってファンにたくさん新しい景色を見せてくれる。

そう信じて疑わず、ワクワク胸を高鳴らせ、大好きな4人の輝く姿を、TVに雑誌に舞台にと、一瞬も見逃すまいと追いかけていました。

 

 

2015年11月24日。

 

仕事が終わった午後9時半。

先輩がスマホでニュースを見て、驚いて私に教えてくれました。

 

先輩に何か返事をしたと思いますが、あまりよく覚えていません。

 

とにかく、家に帰ろう…

それくらいのことしか、考えられませんでした。 

 

帰宅途中、やっと少しまともになった頭で、真っ先にKAT-TUNのこれからのことを考えました。

…もしかしたら、もう無理かもしれない

自分で考えたその可能性を頭で必死に打ち消しながら、

かのインテックス出の友人に、泣きながら電話をかけ、ふらふらと、どこをどう通ったのか、何とか家まで帰りつきました。

 

 

あの目の覚めるように赤い、あの色

あんなにつらい色を、私は知りません。

 

 

それからというもの、仕事が終わって、帰宅して、一人になって、気付くと、泣いている、そんな日が続きました。

あと何日、数えながら毎日が過ぎていく。

じりじりと首を絞められるように苦しく、つらく、耐え難く、私は運命を呪いました。

 

それでも、大好きなKAT-TUNの今の姿を、この目に焼き付けたい。

その思いが日を追うごとに強くなりました。

 

今まで地方だからと諦めていた番組協力に応募したり、要望はがきを書いたり、できることをできる限りやりながら、3月まで、KAT-TUNを追い続けました。

 

それぞれの決意を胸に宿した4人のKAT-TUNは、今まで見たどのKAT-TUNよりも、美しく、儚く、強く、最高にかっこよかった。

 

ありがとう。

 

そう心から思えました。

 

 

2016年4月、私の大好きなKAT-TUNは、3人で再出発しました。

そして、1ヶ月を瞬く間に駆け抜け、5月1日をもってグループ活動を一旦停止させ、充電期間へと入りました。

まだ充電期間に入ってそれほど時間は経っていませんが、今まで10年近く、ずっと見つめてきたものがそこに無いという感覚は、初めてのもので、今は不安のほうが大きいです。

けれど、3人は未来を約束してくれたので、ファンとして、個々のメンバーの活動をこれまで通り応援しながら、3人並んで笑っているその姿が見られる時まで、じっと待ちたいと思います。

 

 

2005年、亀梨くんと赤西くんを知ってから、11年、こんな今が待っているとは、想像すらしていませんでしたが、これまでKAT-TUNを好きでいて、本当に良かったと、今この瞬間、心から思います。

勿論、言ってしまえば、アイドルとファン、それだけの関係です。

でも、大げさかもしれませんが、KAT-TUNに出会わなければ、知らなかった、思い、感情、たくさんのものを、6人のメンバーそれぞれから、もらいました。

そして、いつだって、彼らは、見たことのない景色を、みせてくれました。

 

ありがとう。

 

大好きなKAT-TUNが、これからも、仲良く、笑って、幸せに溢れた世界を歩んでいけますように。

 

心から、あなたたちの活躍と、笑顔を、願っています。

 

 

 

 

 

 

トピック「KAT-TUN」について

 

 ・・・もしここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。・・・

 

KAT-TUNと私の10年を振り返って 前編

 

leciely.hatenablog.com

 ということで、KAT-TUNについて何か書きたい衝動に突き動かされ、自己満足に綴り出したら、思いのほか長くなりすぎ、導入編として一度切り離す事態に。

前回は私がKAT-TUNを知ってから2006年初頭にNEWSにはまるまでをざっくり書いたので、ここからはその続きを。

 

まぁね、NEWSで2006年って言ったらご存知の方も多いとは思うのですが、これですよね、

 

年内の活動休止。

 

受験が終わった私にこの事態はかなり重くのしかかりました。

はまってすぐに活動休止て。そんなことが。

2月くらいにメンバーの謹慎騒動があり、嫌な予感はしていたのですが、まさかのこの事態。

楽しみにしていた新曲、『サヤエンドウ』も、6人での収録となったうえ、テレビでの披露は一切なし。悔しくて悔しくて、このやるせない思いをどこにぶつけてよいのか分かりませんでした。

そして、めそめそする私の耳に次のニュースが飛び込んできました。

 

KAT-TUNデビュー決定。

 

そうか、おめでとう。

でもな、NEWSは活動自粛中なんだよ!

それを尻目にデビューたぁどういった了見だ!!

 (すみません、本当にすみません)

 

若干中学3年生の私はぷんすかぷんすか、憤りながらも、KAT-TUNのデビュー曲Mステ初披露なんかはしっかり見届けつつ、でも友人からのデビュー魂参戦のお誘いはぷりぷり断り、複雑な気持ちでデビュー時の活躍を見届けました。

(デビュー魂のお誘い断ったことはちょっと後悔しています。)

 

この時期のKAT-TUNって、本当にすごかったです。

テレビをつけても雑誌を開いてもKAT-TUNKAT-TUNKAT-TUNばっかり。

ドラマにCMにバラエティに、ひっぱりだこ。

私が好きなNEWSは活動を自粛しているのに…ぶちぶちぶち。

(すみません、本当に)

山Pの抱いてセニョリータに心躍らせ、特に興味のないバレーボールをkitty GYMのために観戦し、NEWSのメンバーが出演するテレビドラマを欠かさずチェックし、文化祭のクラス対抗ダンス選手権ではクラスメイトをバックダンサーに従えて青春アミーゴを熱唱しながらも、一年間、心境複雑でした。

 

ところで、高校1年生となった私のクラスには、KAT-TUNに好意を寄せる女の子がいました。彼女は、上田くんのことが好きなようで、彼のことを「姫」と呼んでいました。彼女は、私に、是非見てもらいたいとDVDを貸してくれました。タイトルは『Live海賊帆』。その時はまだ、DVDの発売から1年ほどしか経っていませんでした。

複雑な面持ちでDVDを受け取った私ですが、帰宅して早速視聴したのです。

 

 

私はそこに、天使を見ました。

 

 

そう。Love in snowを歌う上田くんです。

 

 

白い、白い、透き通るような白い世界に響く甘い歌声、ピアノの旋律、舞い降りる雪。

切ないバラードを歌い上げる、まだどこかあどけないような、それでいて大人びた、そう、まるで白い天使のような彼の表情、しぐさを、神に祈るような敬虔な気持ちで見つめました。

なんて綺麗な人なんだろう。

上田くんについて初めて抱いた感想です。

 

同時に私は、『ムラサキ』にも心惹かれました。

歌の美しさもさることながら、幻想的な紫色のステージで歌い踊る赤西くんも、とてもとてもかっこよかったのです。

 

満足した…と友人に感謝しつつDVDを返却し、その後のKAT-TUNの活躍を今までよりもちょっと気にして追いかけるようになりました。

初めて行ったジャニーズショップでも、NEWSの写真に加え、上田くんの写真を数枚購入しました。

 

KAT-TUNの活躍はめざましいものでしたが、2006年秋、赤西くんが語学留学を発表した時は、私も少なからずショックを受けました。

デビューしたばかりなのに…やめちゃうのかな…

ちょっぴり不安な気持ちで、でもまだまだどこか他人事のような感覚で、報道を見ていました。

そして、冬、2006-2007年のジャニーズのカウントダウンコンサートでNEWSが復活し、嬉しくて嬉しくて、涙を流しながらテレビを見ました。

2007年は復活したNEWSを追いかけつつ、赤西くんが戻ってきてホッとし、原作が好きだった『有閑倶楽部』のドラマを楽しんで見ました。そして、初めて、KAT-TUNのCD、『Keep the faith』を購入しました。

2007年12月、念願だったNEWSのコンサートに初めて出かけました。

今でこそコンサートはどの席でも楽しめますが、残念ながら、ファン歴の浅いその当時の私は、席が遠いことを何よりも辛く思っていました。初めて生で見るNEWSのメンバーを、もっと近くで見たかったのだと思います。

初めてコンサートが、自分の中でちょっぴりほろ苦い思い出となったこの頃から、何故だか分かりませんが、何となく、NEWSを追いかけることに少しずつ違和感を感じ始めていました。

2008年1月、亀梨くん主演の『1ポンドの福音』が始まりました。ドラマは毎週欠かさずチェックし、主題歌の『LIPS』を購入しました。

多分、私の中で完全にNEWSとKAT-TUNの優先順位が入れ替わったのはこの頃だったのかなぁと思います。2007年秋から、2008年初頭にかけて。

感じていた違和感は、気持ちがだんだんNEWSからKAT-TUNへ向かっていたからなのでしょう。

部屋の壁に張られるポスターが、NEWSから徐々にKAT-TUNへと変わっていきました。

ジャニーズショップでは、NEWSよりKAT-TUNの写真を購入する数が増えていきました。

2006年に友人から借りたDVDで気になってから、私はゆるゆると、いつの間にか、 KAT-TUNのファンになっていました。

この間およそ1年半。

 

…長かった。

…ここまで長かったです。

 

このブログを書きながら改めて自分のファン人生を振り返ってみて、この人いつKAT-TUNのファンになるのかと、もしかしたらこのままならないんじゃないかと、若干ひやひやしましたが、無事ここまでたどり着きました。

よかったよかった。

 

ここから本格的に私のKAT-TUNファンとしての活動が始まりますが、パソコンのキーボード打ちながら息が切れてきたので、続きは後編にバトンタッチします。

初心者がいきなり大きなテーマで慣れないブログを書くからこういうことになるのです。反省。

 

ではまた後編にて。

 

 

 

トピック「KAT-TUN」について

KAT-TUNと私の10年を振り返って 導入編

はじめに。

私はKAT-TUNが好きです。

先日晴れてデビュー10周年を迎えた彼らに寄せて、皆様が様々に思いを綴られているのを拝見し、私も何か書き残しておきたいと思い、とりあえずブログを開設して今この文章を書いている次第です。

開設しといてなんですがそもそもはてなブログとはなんでしょう?

右も左も分かりません。でもとにかく書きたかった。

これから勉強するのでとりあえず今は書きたいことを書きたいままに綴ろうと思います。

 

ここから綴るのは、ただ私がKAT-TUNに出会ってから今までのことを懐かしく思い出しながら、やいのやいの言って、感傷に浸りたいがためだけの文章です。ですのでもし万が一このブログにたどり着かれ、この文章をお読みになって、それでお気に触られる方がいらっしゃったらすみません。そして書き進めていて気づきました、とんでもなく長いです。

だらだら書きたいことだけを自己満足に綴る、いちファンの戯言と思ってお許しください。

 

前置きがどんどん長くなりそうなので、唐突に本編へ突入いたします。

私がKAT-TUNの存在を知ったのは2005年初頭、中学2年生のころ、友人たちが『ごくせん』がどうのこうのと騒ぐ中で耳にしたのが最初だったと思います。友人が手にする雑誌『明星』には、当時人気絶頂であった亀梨和也さんと赤西仁さんの写真が大きく掲載されており、この2人が『ごくせん』というドラマに出演しており、それがすごくかっこいいのだということ、また、2人はかの有名なジャニーズ事務所に所属するアイドルであり、KAT-TUNというグループのメンバーであるのだというようなことを、一通り教えてもらいました。

しかし、何を隠そうわたくしその当時はジャニーズのことが大の苦手、テレビにジャニーズのアイドルが映し出されるたび、恐れおののいてチャンネルを変えていたくらいだったのです。

今考えるに、恐らく、興味はあるけどアイドルが好きとかなんかそういうのはちょっと、みたいな中学生特有の変なプライドとキャラ設定をこじらせていただけなのだろうと思います。

あと、沼に堕ちるのを本能的に察知して回避していたのかもしれません。

無駄な抵抗はよせ、あと1年で頭まで浸かるから。

 

とにもかくにも、そんな私にとって、KAT-TUNは、中学生界隈でHOTな芸能情報、レベルにとどまり、

「なー、亀梨君と赤西君どっちがかっこいいと思う~?」との友人たちの可愛らしい問いかけに対し、「いや、そもそもジャニーズに興味ないし」などと可愛げの欠片もなく鼻であしらって過ごしていたのであります。できることならこの瞬間に戻って、ノリノリで質問に答えたい。今でもいい。誰か聞いてくれ、全力で答えるから。ちなみにどっちも大好きだ。

結局ごくせんをリアルタイムで視聴することは一度も無く、テレビでクランキーのCMとか見たら、あ、これがKAT-TUNか…とかはちょっと思いつつ、日々は過ぎていきました。

そして2005年夏、『ドラゴン桜』放送。中学3年生、ちょうど受験生だった私は興味津々、ドラマを楽しんで視聴しておりました。

この半年後に山Pに堕ちることなど想像すらせず、ドラマの最後に流れるテロップに、

挿入歌

『カラフル』

山下智久

の文字を見て、へえ、この東大目指してるお兄さん、お歌を歌う人なのか~などと、のん気に思ったことを覚えております。本当にのん気。

2005年冬、『野ブタ。をプロデュース』放送。

すごかった。ごくせんにも増してすごかった。

すっごく女子たちが騒いでた。

皆あちこちで「野ブタ。パワー注入!」とかやってた。なんかピースサインを目元に当てて、皆とっても楽しそうに、時々「~だっちゃ」などと会話に謎の語尾を付けて喋っていた。そういやごくせんの時もみんな「ちゃんと掃除してくだパイ!!」とか言ってたな。

この時も、私は特別流行りに興味を持たないままで、一度もリアルタイムでドラマを視聴することはありませんでした。

 

そして迎えた運命の、2006年、年明け。

私は遂に見てしまったのです。

 

今となっては、それがなんの番組だったのか、思い出せません。

多分、2005年のヒット曲を振り返る、そんな特集が組まれていたのだと思います。

リビングでテレビを見ていた母親が、キッチンにいた私に話しかけました。

『やっぱりジャニーズは、ああいう衣装が似合うね。カッコイイよなぁ。』

 

…ジャニーズ?

私の苦手な?

 

『えー、でもジャニーズはあんまり見たくないというか…』

 

ぶつくさ言いながらリビングに移動し、母が見ていたテレビに目を向けました。

その瞬間、私の目にそれが飛び込んできたのです。

 

ヒラヒラの腰布。

キラキラ舞う紙吹雪。

ステージいっぱいに所狭しと歌い踊る、たくさんの男の子達。

 

………え?

 

 

…これは……なに…………??

 

 

まるで雷に打たれたかのように、私はしばし呆然とテレビの前に立ちつくしていました。

 

そして、少し遅れて耳に入ってきた、その、メロディ。

どこか哀愁の漂う、懐かしい、それでいてキャッチーな、旋律。

 

“si 俺達は いつでも………"

 

…なんだこれは。

身体の中枢に直で訴えかけてくるこの響きは、なんだ。

 

とにかく棒立ちの私は、混乱する目と耳を必死に奮い立たせ、恐らく時間にしてはほぼ十数秒であったその映像を、食い入るように見つめていました。

その瞬間の衝撃は今でもはっきり思い出すことができます。

 

 

これが………

これが、ジャニーズ………!!!!

 

今までムキになって避け続けていたその箱を、私はついに開いてしまいました。

 

もうお判りでしょうが、私が見た映像こそ修二と彰の歌う『青春アミーゴ』、発売1か月でミリオンセールスを叩き出した、かの大ヒットソングであったのです。

 

実はその当時、山口百恵さんの熱心なファンであった私は、昭和歌謡を毎日聴きこんでいたこともあり、青春アミーゴの歌謡曲っぽいと言われるその調べについつい惹かれたのかもしれません。

山口百恵さんのファンであったという一文には我ながらツッコミどころが満載ですが、これについて語り出すと更に収集がつかないことになってしまいますので、ここではさっくり割愛いたします。

 

とにかく興奮冷めやらぬ私はCDショップへ走り、青春アミーゴのCDを購入しました。

最初はどちらかというと歌に惹かれたという感じで、ジャケ写を眺めながら、

はへ~~この亀梨さんとおっしゃる方も、山下さんとおっしゃる方もどちらもかっこいいなぁ、さすがジャニーズ!

などとのん気に思っていましたが、その内すぐに

 

え…?

ちょ、今の『ミ・アミーゴ』の言い方めっちゃそそるんだけどえっ待って?

 

みたいな感じでずぶずぶと沼にはまっていきました。

その中で、修二と彰がそれぞれ、ごくせんの亀梨さん、ドラゴン桜の山下さんであるということを知りました。特に、私がこの時恋をしたのは、彰、つまり山下智久さんだったので、ドラゴン桜をのん気に視聴していた半年前の自分を思いつく限りの言葉でなじったのは言うまでもありません。

そこからはジャニーズにはまった人なら皆が通る道、ジャニーズ好きの友人から関連資料をありったけ借りまくり、ひとつづつチェックしては身悶えし苦しむというお決まりの展開へと進んでいくのです。

もちろん、近所のファンシーショップで非公式の下敷きやらキーホルダーやらも買い込みました。そこは中学3年生だったので許してやってください。

初めて買った雑誌はduet 2006年2月号、表紙はKAT-TUN、二重構造になっていて、ぺりぺりとめくると下から別写真のKAT-TUNがこんにちはするというあの号です。

残念ながら、当時私は山Pファン、KAT-TUN好きの友人にKAT-TUNのページは切り抜いて贈呈してしまいました。

 

2006年1月、晴れてジャニヲタの仲間入りを果たした私は、山Pの、そしてNEWSのファンとなり、受験が終われば盛大にNEWSを追いかけること、心ゆくまで野ブタ。をプロデュースのビデオ(友人録画)を見ること、を心に誓い、優しい友人が大量にくれた各種雑誌の山Pの切り抜きを心の拠り所として、受験勉強に励んだのでした。

 

 導入編、終わり。

まだまだ続く。

 

トピック「KAT-TUN」について